“Echo”
2017年9月作
小さな頃から「哀れな怪物」みたいなものになぜかずっと惹かれるのです。
元は人間だったのに孤独で過酷な環境下で怪物と化してしまったウルトラ怪獣のジャミラとか
強大な力が自分自身を上回り自己制御できなくなってしまうAKIRAの鉄雄とか
(「カオリが俺の中で死んで行く!」と言う台詞のなんと救いの無いことか!というかあの映画で一番可哀想なのはどう考えてもカオリ)
あとはゴジラもそうですね。
基本、日本の怪獣や怪物には底知れぬ哀愁が付き纏っている気がします。
あと、特に幼少期に観たもので印象深かったものは「ゲゲゲの鬼太郎」のとある一話。
鼠男が悪い妖怪が仕掛けた変な団子をうっかり食べてしまい、みるみるうちに巨大怪物化し自分の意志とは反して街や人を傷付けてしまうというお話。
遂には完全に自我を失って破壊を繰り返すだけの存在に成ってしまって、その見た目のおぞましさ、哀れさに怖れながらもテレビ画面から目が離せませんでした。
あまりにも凄惨な体験故に人から人成らざる者へ変化してしまった者
誰も何も傷付けたくないのに自我がどんどん浸食され、やがて周りのすべてを灰にしてしまう者
なんだか堪らないんですよね。
愛おしいなあとすら思ってしまう。
だけど人々は彼らを「災厄をもたらすもの」としか捉えられないから、もし彼らの息の根を止めたとしてもその後彼らの悲哀の歴史を知る者はきっといない。
知ろうと思う者すらいないかもしれない。
これは多分ややこじつけの部分もあるかもしれないのですが、
私はそういう誰にも気付かれず人知れず悶え、苦しみ、耐え忍び、やがて哀しい存在に成ってしまった者達に向けても歌いたいのだと思います。
それは例えば英雄に湧く群衆に踏み潰される力なき者に対しても。
また、暗い部屋で泣き叫んでも誰も何も聞いてくれない、聞こえないふりをされ続け疲れ果てた子供に対しても。
長くなりましたが
「人は皆それぞれ心に怪物が潜んでいる」
だとかそんなクサいことは言いません。
これはあくまでも作り話のおとぎ話です。
それでも、私が小さな頃から哀れな怪物に対し感じていたことを少しでもお伝えできたならそれはそれは儲けものだなあ、なんて思っております。
そうそう、今回は初めて一番と二番で視点が変わる仕様の歌詞となっております。
所謂テレビサイズが完全に不可能な仕上がり。
だけど
「テレビサイズなんで曲本来の味も流れも殺す悪しき風習だ」
みたいなことを吉幾三さんも言っていたので胸を張って綴っていこうと思います。
それではどうぞ
“Echo”
朝ぼらけ 街は未だまどろみの中
機械樹の森 煙の葉を揺らして
茂みの奥 うごめく影低く唸り
朝日待てど 決してここまで届かない
柔らかな笑みも肌も
黒く尖る蔦に覆われて
瞳だけが今でも
潤んだまま果てを見ている
「誰か、誰も、ここにはいないの?」
空を切る声 枝に遮られ
涙を呑み込み生まれた
哀しき生き物よ
どうか、どうか、側に来ないで
抱き寄せる為に伸ばした腕で
僕はあなたの心臓さえも引き裂いて
しまいそうで
さようなら あなたを
忘れてしまう前に
夕闇が空を這い降りてくる頃
一目忍び また君の元へ駆けてゆく
今日は未だ私のことが分かるかな
君の全て 日ごと夜に奪われていく
この世で君だけが
清く優しく気高く
それでも世界は君を
愛さず残酷な仕打ちをする
「待って、待って」呼んでいたのに
君を置き去りにしたあの暗い
森の奥から今も聞こえる
「行かないで」
いつか、いつか、君が何もかも忘れ
私の首にその腕を伸ばし
呼吸を止めても 決してもうここから
離れないよ
おやすみ 君をもう
一人にはしないから
一瞬の静寂
君が少し笑った気がした
さあ、ひどく疲れたろう
もう休もう
安らかに
「誰か、誰も、ここにはいないの?」
空を切る声 枝に遮られ
涙を呑み込み生まれた
哀しき生き物よ
いつか、いつか、君が何もかも忘れ
私の首にその腕を伸ばし
呼吸を止めても 決してもうここから
離れないよ
さようなら あなたを
忘れはしないだろう
誰もいない森
今も声だけが響く