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Words.

ヒラエス

2016年9月作

(以下解説長め)

今年の7月中旬から8月中旬にかけて都会を離れ某高原に滞在していました。

その旅先でたまたま見つけ、何となく面白そうだからと入った切り絵美術館。

其処で目にした作品の数々に文字通り私は息を呑み、言葉を無くしました。

影絵作家、藤城清治氏の作品。

絵本版「銀河鉄道の夜」でその寓話的でありながらどこか陰鬱な作風を目にした方も多いと思います。

日本の原風景のようでありながら、どこか遠い国はたまたこの世の風景ではないような。

そんな作品達に間抜けな顔で見入っていた私は、なんとなく昔の事を思い出していました。

通っていた小学校の体育館の壁に飾られていたモザイク画。

それは今思えば、藤城さんの「銀河鉄道の夜」を基に当時の生徒達が作ったものでした。

上に兄弟がいた関係で入学前に体育館に足を踏み入れてから、私は何かと機会があれば真っ先にそのモザイク画の所へ行き、母にもう帰るよと手を引かれるまで眺めていたものです。

その絵を眺めている時、私はどこか遠くにある夢のように幻想的な場所に胸を踊らせながらも、そんな場所はおそらくどこにも存在しないのだろうという寂しさや哀しさも感じていました。

そんな不思議な感覚から抜け出せなくなり、いつまでも眺めていたのだと思います。

その後小学校に入学して暫く経つと慣れからかそのモザイク画も只の背景になってしまったのですが。

日常から離れた高原にぽつんと佇む美術館の中で

あの頃と同じ不思議な感覚に陥りながら、

私は勝手に

ああ私はこの人の作品にこの場所で出会うべくして出会ったのだ

と感じてしまいました。本当に勝手にだけど。

私が音楽を始めたきっかけの根幹にその感覚があるような気がして、それを抉り出す事でもう一度歌っていけるような確信めいた予感があったのです。

正直高原に行く前は勝手に自分で自分を完結させて、ああもう駄目だこれにて終了ですありがとうございましたでもでもまだ終わりたくないって延々自問自答していました。

完結させる程の事なんてまだ何もやっていないというのになんと滑稽な。

タイトルのヒラエス(HIRAETH)はウェールズ語で

帰る事が出来ない場所への郷愁と哀切の気持ち

過去に失った場所や、永遠に存在しない場所に対しても

と言う意味だそう。

(「翻訳できない世界の言葉」より引用)

日本語だと「心象風景」が一番近いのかもしれないけれど、ヒラエスはそれよりももっと色々な意味を含んでいてそれがとてもしっくりきました。

また最近日本近代の詩集を読んでいるとカタカナがとても印象的に用いられていて、その日本的でありながら異国的な存在感が今回は合うなと思ったのでタイトルは敢えてカタカナにしました。

結果として今までに無い切り口の曲に出来たかと思います。

前置きがかなーり長くなりましたが、、、ご一読いただけますと幸いです。

この曲のモチーフの一つ、藤城清治氏の「星空のともしび」を添えて。

『ヒラエス』

零れかけた雨露が凍り 地の先まで貫きそうな

尖ったその切っ先に あの子の

無邪気な指が触れる

滴る血の赤さと 笑う度逃げていく息の

白さだけが今も胸から 離れない

遠ざかる程在りし日は

時に削られ角を無くし

輝きを増して恋しくなるばかり

なのです

やつれた白樺の枝が 悪魔の手のように伸びて

檻になって僕らをずっと 閉じ込めてくれたら良かった

あの子の名前は?顔は?本当に其処にいたのか?

もう記憶か夢だったかも 分からない

雪原を駆ける無垢なシルエットが

渦巻く雪にまみれ見えなくなる

あれから永い永い時が経ったんだね

遠ざかる程在りし日は

美しくなり恋しくなるばかり

なるばかり なるばかり

雪原を駆ける無垢なシルエットが

渦巻く雪にまみれ見えなくなる

あれから永い永い時が経ったんだね

もう思い出せないのに

まだ忘れられないの

もう思い出せないのに

何故忘れられないの?


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