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Words.

名前変えます

こんにちは又はこんばんは又はおはようございます。

えー、

わたくしこの度音楽活動名を

Suw

から

水瑛

に改める事に致しました。

「すよん」です。

私の本当の名前です。

前々からの友人は勿論知っているだろうけど、Suwとしてライブ等で出会った方々は「す、すよん、、、?」って思われるかもしれません。

はい。

私は所謂在日コリアン三世です。

両親の両親(つまり私の両祖父母)達が戦後間もなく生きる為に日本に渡り、そこで生まれ育った似た境遇の両親が出会い生まれたのが私です。

私は物心ついた頃からずっとこの名前と境遇を呪い、忌み嫌ってきました。

特に小学生の頃は名前をからかわれたり、時には凄まじく差別的な言葉も沢山投げかけられたり。

今思えば「まあ子供は残酷だからね〜」と流せてしまう事一つ一つに当時は傷つき、打ちのめされました。

次第に私自身も

「なんで私ばっかり」

「全部夢なら良いのに」

「こんな変な名前も自分も大嫌い、なんでこんな名前付けたんだ」

「大人になったら名前も何もかも捨ててやる」

そんなことばかり考えるようになっていました。

日本生まれ日本育ちのため通っていた韓国語学教室も苦痛でしかなくて、そのせいで全く身に付かず未だに勉強中なんですけれども。

成長して音楽活動を始めてからもどこかにその感覚が根付いてしまっていて。

シンガーソングライターとしての名前を決める時もどうしても自分の本当の名前でやっていく勇気が出なかったのです。

表向きは「スー」は昔からのあだ名だからだとか、

オリエンタルな響きが気に入ってるからだとか、

Siouxsie&the Banseesが好きだからだとか(これに関しては完全に後付け)

そんなこと言ってたけど、一番の理由は無意識の中で「すよん」と名乗るのが怖かったのだと思います。

人前に出て弾き歌うという行為故に尚更。

それでもやっぱりどこか、「Suw」でいることと私自身とがずっと結びつき切らないところがありました。

元々物事を一歩二歩引いて見てしまう性分も相俟って、ライブをしてそこで出会った方々と話をしていても自分の存在だけはここにちゃんとないような感じがずっとしていました。

Suwという名前だけが頭の斜め上でフワフワ漂っているような。

分かりづらいですよね。

でも

「私は一体誰で何者なんだろう」

という思いは少しずつ大きくなる一方で、正直音楽を続けて行く事自体が少し億劫になっていました。

細かい理由は他にも色々あるけれど、ここ暫くの活動ペースが牛歩だった根底の理由はそこに尽きると振り返ってみて思います。

だけど今年の春頃、

血縁者なんてもう一人もいないと思っていた韓国の南に在る街に祖母の妹さんがいることを知った瞬間

「あ、すぐ会いに行かなきゃ」

と強く思い本当に春のうちに会いに行きました。

着くとそこは海辺の街で、とても好きだった祖母と瓜二つの妹さんが出迎えてくれました。

今まで故郷なんてどこにも無いと思っていたし、その場所に対しても正直懐かしいと感じた訳では決してありません。

だけどこの初めての地に近い血が流れている存在がいたと知った時(首都近辺には何度か行っていたけれどその街は初めてでした)、とても心強いようなとても泣きたいような不思議な気持ちになりました。

同時に

自分の名前を否定してしまう事は、辿って行けば激動の時代の最中、生きる為に10代半ばで家族と離れ命からがら日本に渡って来た祖父母達を否定する事なのではないか。

そしてもし祖父母達が日本に渡ってこなければ、私はこの世に存在すらしていないんじゃないか。

そんな風に思ったのです。

それからまた暫く経ち、つい先月頃にNHKのSONGSという番組のゲストが宇多田ヒカルということで観ていた時です。

その時に語られた一つの言葉に私は強く突き動かされたのです。

「私は日本にいても人種の坩堝と言われている国にいても自分はアウトサイダーだと感じるけれど、だからこそ書ける曲がある。」

所々の言葉のニュアンスとかは結構違うかもしれません。

また宇多田のこの言葉に対して共感しただとか、そんなおこがましく身の程知らずなことは格が違い過ぎて本当に全く以て言うつもりはございません。

本当に。

それでも私はこの言葉にもの凄く勇気づけられました。

思えば私の曲の中でも好きだと言って下さる方が多い「樹液は赤色」という曲は、前述した暗黒の小学生時代に

「あ〜見た目は人間なのに名前や国籍一つでなんでこんなに言われるんだろう。

どうせ忌み嫌われるなら最強に醜いバケモノになりたい、血が青とか緑とかの」

って思った経験が基になっているし。

祖母の妹さんに会いに行った経験は「Love letter」という曲になっているし。

そう思うと、むしろ全員が経験できることじゃないから私ってラッキーなんじゃないの?なんて風にも思えてきたり。

まあまだ強がり半分なところは否めないけど。

私の境遇だからこそ生み出せる、私にしか生み出せない曲がきっとある。

悲しい苦しい悔しいことは沢山あっても、それは私の糧となり血肉となり強みになる。

と、言う訳で

私は巡り巡って授かった大切な大切な自分の名前で活動する事に決めました。

ちなみに読み方は本名そのままだけど漢字の表記は一部変えてます。

なんでそれ?って思った方は直接聞いて下さりましたらお答えさせていただきます。

また、今までスーちゃんとかスーさんとか読んで下さっていた皆々様

どうぞそのまま呼んで下さいますと嬉しいです。

「スー」ってあだ名は本当に気に入っているので。

あとそうだ、もう一つ大きな理由があった!

Suwだと検索に引っかかりにくいのです!

些細だけど大事なことです。

水瑛だともっと見つけやすくなるかと思います。

正直まだ少し怖いけれど、同時にとても清々しい気分です。

万人に愛されようなんて思っていなくとも、届くべき人に届く唄を歌って行きたい。

名前を変えてハイ一件落着、じゃないと本当に思っています。

今まで遠回りをしてしまった分もう逃げも隠れもしません。

やるぜ私はやるぜ

関係無いけどこの文章を打っている間中ずっと昔読んだローゼンメイデンに出て来た

名前なんて便宜上の些細なもの

でも必要なもの

だから大切にした方がいい

って台詞が頭の中をぐるぐるしていた。

長くなりましたが最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

本当はもっと長くなりそうだったけどこれでもなんとか添削しました。

10/24のヒソミネのライブでSuwは終わり、11月から水瑛になります。

改めて、よろしくお願い致します。

Suw-水瑛


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